自分の中にある小さな粒がどんどん膨れ上がっていくのを感じ、恐怖心が芽生えてきた。――あれ、俺が好きだったのは佳乃なのに。どうして、久実を見ると胸がこんなにも熱くなるのだろうか。まじで、勘弁してくれって俺。きっと、感情のコントロールができなくなっているだけだ。冷静になれ。相手はまだ十代なんだから駄目だ。目をふっと覚ました久実はここがどこなのかわからないようで、目をキョロキョロさせている。顔を覗き込み「よく眠ってたな」と言うと、にこっと笑った。「……なんだ、夢かぁ」「は?」「赤坂さん」寝ぼけている久実は両手を伸ばして俺を引き寄せる。抱きしめる形になった。柔らかい胸が押し潰れるほど強く抱き合う。「大好き」「………………」心臓が止まりそうになるほど驚いて、言葉を失ってしまった。俺の鼻に通り抜ける久実のシャンプーの香りがさらに心臓の鼓動を加速させる。このまま理性を失いそうになった。「……おい。久実、離せ」「……ん?」ぼんやりとした顔で俺を見た。次の瞬間「変態っ」と叫びだした。その声に俺はびっくりして離れた。久実はベッドの上で顔を真っ赤にして端に行った。絶対勘違いしてる……。「おいおい、抱きついてきたのは久実なんだけど。マジで勘弁してくれって」「え? わ、私……?」恥ずかしそうにしている姿を見ると、まだまだ子どもなのだと実感する。「あぁ」「寝ぼけていたのかも。変なこと言ってなかった?」「言ってたかもしれないけど。よくわかんなかった」もしも、この想いが本物だとしても久実が二十歳まで待とうと思った。「ごめんなさい」「別にいいけど。あまり無防備なことしてると襲われるぞ。身体は大人なんだから」「はい……」*数日後。記者会見を開いてもらい、俺は堂々と答えた。卑怯な質問をしてくる奴らにも、俺は怯まないでしっかりと受け答えをする。俺は悪いことを何一つしていないのだ。テレビの向こうで応援してくれている人がいる。そして――久実も、俺を応援してくれているのだ。COLORメンバーも事務所大澤社長も、所属タレントも、いる。俺は一人じゃない。たくさんの勇気をくれた久実に、感謝しながら記者会見を終えた。
4 ―恩人―久実二十歳 赤坂二十六歳 久実side短大生になり、あっという間に時が流れてもう十一月。秋風が冷たくて、心が折れそうになる。人恋しい季節なのかな。こんな私にも彼氏ができて今日はデートの待ち合わせをしている。と言っても付き合ってまだ一週間。一ヶ月前から好きだと言われ続けて、悩んで悩んで付き合うことにした。付き合うことを決めた理由は、いつまでも赤坂さんに片想いしているわけにいかないから。違う大学に行った朋代からも付き合う経験をしたほうがいいと言われて決意した。駅で待っているとデジタル広告が目に入り、赤坂さんが映っていた。カメラのコマーシャルに出ている。赤坂さんには彼ができたことを伝えていない。本当は、赤坂さんのことが好きだ。男として、赤坂さんのことを……心から愛している。間違えても伝えてはイケない思いだけれど。彼には病気のことをまだ伝えていない。今日は彼との初デートだし、しっかり伝えようと思っている。いつまでも隠しておけない。カミングアウトするなら、早いほうがいいだろう。怖いけれどしっかり言えば理解してくれるよね……。同じ短大の彼。爽やかなイケメンで話し方も優しくて、いい人だと思う。きっと、私はこれから幸せになっていける。「お待たせ。じゃあ、行こうか」目の前に現れた彼は、さっと手を繋いだ。はじめての経験に心臓が激しく動いている。顔が熱くて耳がひりひりする。たくさん人が歩いているのに、手を繋ぐなんて恥ずかしい。頭一つ分大きな彼。この人が自分の恋人なのかと思うとなんだか、すごい違和感だ。グレーのコートに黒いマフラー。どこだかわからないけどブランド品のようだ。センスのいい彼で安心する。近づくといい香りがしてすごく清潔感にあふれている気がした。「俺の彼女になってくれてありがとう。はじめて見た時から可愛い子だなって思ってたんだ」少し歩きながらそんなことを言われた。微笑まれると、どんな風に接していいかわからない。ぎこちなく微笑み返す。「ありがとう」「まずはランチしよう」グイグイ引っ張ってくれる人は好き。きっと、病気のことも理解してくれて長く付き合えるよね。連れて来てくれたのは、若い世代のカップルが集まっているスタイリッシュなカフェ。「俺、オススメはこれ」とメニュー表に指をさして教えてくれた。
「あれ、具合悪いの?」「いろいろあって」「ダイエットとか?」「……いや」なかなか言えなくて苦しい……。いつまでも隠しておけないのはわかっているけれど、言えない。「すげぇ細いじゃん。もっといっぱい食べて太らないと」「…………うん」気を使って優しい言葉をかけてくれる彼に対して、嘘をついている気がして申し訳ない気持ちになった。こんな気持ちのままお付き合いしていいのだろうか。しばらく無言になり、紅茶を飲んで会話を探していた。「まだ大丈夫なら少し景色のいいところ行かない?」「はい。ぜひ」「よし、行こう」連れて来てくれたのは高層タワー。東京を一望できるデートスポット。彼は女の子慣れしているみたいだ。私なんかでいいのだろうか。人も車も豆粒に見える。男の人と出かけるなんて経験がないから躊躇してしまう。どんな会話をすればいいのだろうか。だんだんと夕日に染まっていく空。街にはだんだんと灯りが灯っている。タイムリミットが近づいてくるのだ。早く言わなければ……。私は彼の方を向いた。穏やかな顔で景色を見下ろしている。息をゆっくり吸い込んで気持ちを落ち着かせた。あれほどまでに好きだとアタックしてくれたのだから、きっと大丈夫。付き合おうと決めた人を信じようと思った。「あのね。言ってないことがあるんです」景色を見ていた彼が、こちらを向いた。「ん? なに? なんでも言って」私は一つ、コクリと頷いた。「……私、心臓の病気があるんです……」「…………え?」予想以上に驚いた顔をされたから、どんな言葉を続ければいいかわからなかった。急に恐怖心に襲われる。彼は、どんな言葉を投げかけてくるのだろう。震える身体。怖くて心臓がドキドキと奇妙なリズムを刻んでいた。「じゃあ……そういうことできないの?」予想外の質問に答えを返せない。年頃の男女なのだからそういう関係になってもおかしくはない。だけど、大事なことを打ち明けたのに一番に聞かれたのがそれだったのは、ショックだった。――体調は大丈夫なの?とか、――長く生きられるの?とか。私をいたわるようなことを言ってくれるのだと思っていた。
「………久実ちゃん?」「わからない。調べてみる」もしも体に負担になる行為ならできないかも知れない。そうしたら、彼は私を捨てるのだろうか。「何度か手術してて……。傷があって……。肌を見せるのも躊躇してしまうと……思う」「ふーん……」彼は感情がわからないような返事をして、無表情のまま景色に視線を戻した。突然、雰囲気が悪くなった気がする。「やっぱり。私みたいな女って恋愛対象外になってしまうのかな……?」「うーん。久実ちゃんのこと可愛いって言っている奴は多いけど。きっと誰も知らない事実だろうね」「……………うん」「俺もかなりショック。詐欺に遭った気分」「そんな、騙そうなんて思ってないよ」「でも言わなかったから詐欺じゃん。マジで時間返してって感じなんだけど」スマホをおもむろに見た。「あ、ごめん。そろそろバイトだから帰るわ」彼は帰ってしまった。今日は一日予定が空いていると言っていたのに。私を一人残して……。さっきまで繋がれていた手をじっと見つめる。「なんだったの」詐欺だなんて、私のセリフだ!涙は流したくなくて、ぐっと堪えた。外に出るとすっかり暗くなっている。風も冷たいし本当に切ない気分になってしまう。こんな時は赤坂さんに会いたくなるけど。赤坂さんを忘れるために付き合ってこんな目に遭ったのだ。理由を聞かれても言えるはずがない。真っ直ぐ帰る気分になれなくて賑わっているほうへと歩いていると、色んな人に声をかけられた。スカウトマンだったり、ナンパだったり。皆……、私の病気のことを知らないで声をかけてくる。そして、知ったら、逃げて行くくせに。だんだんと自分が嫌な性格になっていく気がする。卑屈になって素直じゃなくなって。可愛くない女になっていく。バッグに入っている携帯が鳴り確認する。『どうだった? 初デート』朋代からのメールだ。立ち止まって返信をする。『病気のことを言ったら置いて行かれた(笑)今、街をぶらぶらして帰るところー』いっぱい絵文字をつけて明るく振る舞う。『……大丈夫?』『大丈夫!』私は友達にも弱みを見せられない女になってしまったのだ。信号が赤になる。このまま歩いて車にひかれたいとさえ、思ってしまった。こんなの、自分らしくない。
あのデートから数日後。お風呂から上がって自分の部屋に戻った時、机に置いてあった携帯が震えた。誰からだろうと思って確認すると、彼からのメールだった。『病気のこと知らずに好きだとか言って、ごめん。本気で久実ちゃんのことを好きになってしまったら困るから、別れよう』くすっと笑った。馬鹿みたい。バカ、バカ。バカ。『了解です』返信をしてすぐにメールアドレスを消去した。ゲームのリセットボタンみたいにすべて消すことができればいいのに。さほど、好きじゃなかった人に言われてこんなに悲しいのだから、赤坂さんにもし告白をして、付き合えないと突き放されたら……。奈落の底まで落ちて生きられないかも知れない。誰かを好きになるなんて――無駄なこと。私には夢も希望もない。もう、誰とも付き合わない。キスもセックスも経験しないで死ぬのを待つのだろう。くだらない……。人生って不平等だ。ベッドに倒れた私は目を閉じた。すーっと涙が流れてくる。どうして、こんな思いをしなければいけないの? 短大にも行きたくない。……けれど、お母さんとお父さんを悲しませてしまうから、それだけは続けないと。一人っ子である私。両親にとっては大事な存在であるだろう。負けちゃ駄目だ。
十二月に入る頃、私は講義を聞き終えて立ち上がった。「大丈夫か? 顔色悪いぞ。心臓痛いの?」同級生の男性に声をかけられた。「え?」「……お前、心臓病なんだろ?」きっと――彼が病気のことを言いふらしたのだろう。いろいろと調べたら、激しくは駄目だけど、愛を確かめ合うじっくりゆっくりとしたものならいいと書いてあった。「そうなの。でも、大丈夫、ありがとう」変なプライドが邪魔して満面の笑みを浮かべた。隣で一緒に講義を受けていた友達と教室を出た。短大の食堂へ行って券売機の前でメニューを選んでいる。すると、女の子と、笑顔で、手を繋いで歩いている彼を見かけた。だんだんと距離が近づいてきて逃げようと思ったのに、動けなかった。もうすぐに新しい女性に乗り換えたらしい。軽すぎる。あんな奴と別れてよかった。「おっす。久しぶり」なんて言われる。「誰~?」甘ったるい口調での女の子がこちらをチラッと見てくる。「大丈夫か? 心臓病はどう?」「…………」沈黙する私。友達は「ちょっと、あんた!」と、怒鳴りだす。「えー心臓病なの? 可哀想に」彼女さんらしき女の子は、彼にべったりくっついている。視線が集まってひそひそ話をされて、人だかりができてしまった。すごく悲しくて、腹立たしくて、感情がコントロール不能になり涙がボロボロとあふれてきた。目眩がする。息が……苦しい。私はその場にしゃがみこんでしまう。「苦しい……っ」そのまま私はそこで意識を失ってしまった。
目を覚ますと病院のベッドの上だった。酸素マスクをしていて、点滴に繋がれている。「久実っ」お母さんが心配そうな顔で覗きこんできた。すぐにナースコールを押して看護師さんと医者が来た。医者は私の様子を確認した。「念のため数日入院しましょう」最近ずっと入院してなかったのに。愕然としてしまった。やっぱり私は一生こんな生活を送っていかなければならないのだ。夕方になり、お母さんが帰った。二人部屋だったが、もう一つのベッドは空いているから今夜はここで一人で眠ることになる。一人は慣れているのに心細くなる。私のベッドは窓側。安静にしていなきゃいけなくてひたすら空を眺めていた。携帯が震えて、確認すると赤坂さんだった。『ちょっと時間空いたんだけど、会えないか?』私は、ぼーっとメールを眺めていた。もしも、私が病気じゃなかったら赤坂さんと普通に会えていたかな。……いや、病気だったからこそ出会えたのだ。「複雑…………」ポツリとつぶやいて、目を閉じる。すると、ブーブーと長めのバイブ音が聞こえて電話だと思い画面を確認すると、赤坂さんだった。せめて声が聞きたくて通話を押してしまう。「もしもし」『久実』「こんばんは」『ああ、どーも。……忙しいか? たまに会いたいんだけど……』「入院しました」『はあ? なんで知らせてくれないわけ? いつもの病院?』「…………」こんな弱々しい姿を見られたくなかった。ちゃんと、化粧して可愛い姿で会いたかったから、無言になってしまった。『おい』「…………」『なんなの?』「秘密」『あっそ。じゃあな』電話が切れた。握った携帯を布団に置いて天井を眺める。真っ白だと思っていた天井は、微かに模様が描かれている。新たな発見をした。しばらく黙っていると、足音が近づいてきて部屋の前で止まる。カーテンをしているから誰が来たのかはわからない。……けど、赤坂さんだと思った。咄嗟に目を閉じて寝たふりをする。ゆっくりと足音が近づいてきてカーテンが開いた音がして、近くまで来たことを悟った。赤坂さんの匂いがする。大好きな香り。だけど、ちょっとだけ煙草臭い。近くに置いてあった椅子に座った音が聞こえた。眠っているのに、帰らないのだろうか。すると、突然体に体重がかかった。
なんだろうと思って思わず目を開けると、赤坂さんが添い寝しているのだ。「………っちょ」「やっぱり、狸寝入りじゃん」そう言っておでこに軽くでこピンされる。赤坂さんは起き上がって椅子に座り直した。「病院、どうしてわかったの?」「お母さんに聞いた」「………そう」「大学でなんかあった?」鋭い質問に驚いてしまう。顔がこわばる私を見て赤坂さんは笑う。「わかりやすいな、久実」「……」「どうしたの?」あまりにも優しい声だったから心が揺れ動く。この苦しい気持ちを聞いてもらいたいって思ってしまった。「彼氏に振られたの」「……お前っ、彼氏いたのか?」私に恋人なんかできないと信じていたような様子だ。失礼だなと思いつつ私は言葉をつないだ。「いっぱい好きって言われて。私も年頃だし付き合ってみたかったの」「なんだ、それ」「でね……デートしたんだけど。心臓病だと言ったら、振られた。そういうことできないだろうって言われて……。詐欺だって言われちゃった」赤坂さんを見ると笑顔が消えて怖い顔をしている。握り拳が作られていて震えていた。「好きじゃなかったから、いいの」「好きでもない奴と付き合ったのか?」「うん。いろいろあったの」「久実はそんな子じゃない」「赤坂さんは私を過大評価しすぎ」笑って見せたけど、赤坂さんは怒りに満ちていて怖かった。「病気を隠していたわけじゃないけど、言いふらされて。腹立って叫んだら倒れちゃった。こんな身体もう嫌だよ」あえて明るく言うけど、赤坂さんは笑わない。「だけど、いい経験になった。……もう、誰のことも好きにならないで生きていく」自分の中で決まった大きな目標だ。赤坂さんへの思いだって消してみせる!「なんでそんな悲しいこと言う?」「えっ?」「たまたまそいつがバカな男だっただけだ」目を合わせていられなくなって窓に目をやった。もう空は真っ暗。赤坂さんの彼女だったら――どれほど、幸せなのだろうか。諦めようって思うのに、赤坂さんは素敵すぎる。思いが膨らんでしまうじゃない。どうしてこんなに素敵な人に、出会ってしまったのだろう。そして、恋心を抱いてしまったのだろうか。こんな甘い感情があるなんて、知りたくもなかった。「赤坂さんの彼女は、幸せだろうねー」また明るい口調で言って赤坂さんを見ると、すごく真剣な表情を
「じゃあ、まず成人」赤坂は、名前を呼ばれると一瞬考え込んだような表情をしたが、すぐに口を開いた。「……俺は、作詞作曲……やりたい」「そう。いいわね。元COLORプロデュースのアイドルなんて作ったら世の中の人が喜んでくれるかもしれないわ」社長は優しい顔をして聞いていた。「リュウジは?」社長に言われてぼんやりと天井を見上げた。しばらく逡巡してからのんびりとした口調で言う。「まだ具体的にイメージできてないけど、テレビで話をするとか好きだからそういう仕そういう仕事ができたら」「いいじゃないかしら」最後に全員の視線がこちらを向いた。「大は?」みんなの話を聞いて俺にできることは何なんだろうと考えていた。音楽も好きだけど興味があることといえば演技の世界だ。「俳優……かな」「今のあなたにピッタリね。新しい仕事も決まったと聞いたわよ」「どんな仕事?」 赤坂が興味ある気に質問してきた。「映画監督兼俳優の仕事。しかもで新人の俳優を起用するようで面接もやってほしいと言われたみたいなのよ」社長が質問に答えると赤坂は感心したように頷く。「たしかに、いいと思うな。ぴったりな仕事だ」「あなたたちも将来が見えてきたわね。私としては事務所に引き続き残ってもらって一緒に仕事をしたいと思っているわ」これからの自分たちのことを社長は真剣に考えてくれていると伝わってきた。ずっと私から彼女は俺らのことを思ってくれている。芸能生活を長く続けてやっと感謝することができたのだ。今こうして仕事を続けていなかったら俺は愛する人を守れなかったかもしれない。でも美羽には過去に嫌な思いをさせてしまった。紆余曲折あったけれどこれからの未来は幸せいっぱいに過ごしていきたいと決意している。でも俺たちが解散してしまったらファンはどんな思いをするのだろう。そこの部分が引っかかって前向きに決断できないのだ。
それは覚悟していたことだけど、実際に言葉にされると本当にいいのかと迷ってしまう。たとえ俺たちが全員結婚してしまったとしても、音楽やパフォーマンスを楽しみにしてくれているファンもいるのではないか。解散してしまうと『これからも永遠に応援する』と言ってくれていた人たちのことを裏切るのではないかと胸の中にモヤモヤしたものが溜まってきた。「……そうかもしれないな。いずれ十分なパフォーマンスもできなくなってくるだろうし、それなら花があるうちに解散というのも一つの道かもしれない」赤坂が冷静な口調で言った。俺の意見を聞きたそうに全員の視線が注がれる。「俺たちが結婚してもパフォーマンスを楽しみにしてくれている人がいるんじゃないかって……裏切るような気持ちになった。でも今赤坂の話を聞いて、十分なパフォーマンスがいずれはできなくなるとも思って……」会議室がまた静まり返った。こんなにも重たい空気になってしまうなんて、辛い。まるでお葬式みたいだ。 解散の話になると無言が流れるだろうとは覚悟していたが、予想以上に嫌な空気だった。芸能人は夢を与える仕事だ。 十分なパフォーマンスができているうちに解散したほうが 記憶にいい状態のまま残っているかもしれない。 「解散してもみんなにはうちの事務所に行ってほしいって思うのは私の思いよ。できれば、これからも一緒に仕事をしていきたい。これからの時代を作る後輩たちも入ってくると思うけど育成を一緒に手伝ってほしいとも思ってるわ」社長の思いに胸が打たれた。「解散するとして、あなたたちは何をしたいのか? ビジョンは見える?」質問されて全員頭をひねらせていた。
そして、その夜。仕事が終わって夜になり、COLORは事務所に集められた。大澤社長と各マネージャーも参加している。「今日みんなに集まってもらったのは、これからのあなたたちの未来について話し合おうかと思って」社長が口を開くと部屋の空気が重たくなっていった。「大樹が結婚して事務所にはいろんな意見の連絡が来たわ。もちろん祝福してくれる人もたくさんいたけれど、一部のファンは大きな怒りを抱えている。アイドルというのはそういう仕事なの」黒柳は壁側に座ってぼんやりと窓を見ている。一応は話を聞いていなさそうにも見えるが彼はこういう性格なのだ。赤坂はいつになく余裕のない表情をしていた。「成人もリュウジも好きな人ができて結婚したいって私に伝えてきたの。だからねそろそろあなたたちの将来を真剣に話し合わなければならないと思って今日は集まってもらったわ」マネージャーたちは、黙って聞いている。俺が結婚も認めてもらったということは、いつかはグループの将来を真剣に考えなければならない時が来るとは覚悟していた。時の流れは早いもので、気がつけば今日のような日がやってきていたのだ。 「今までは結婚を反対して禁止していたけれど、もうそうもいかないわよね。あなたたちは十分大人になった」事務所として大澤社長は理解があるほうだと思う。過去に俺の交際を大反対したのはまだまだ子供だったからだろう。どの道を進んでいけばいいのか。考えるけれど考えがまとまらなかった。しばらく俺たちは無言のままその場にいた。時計の針の音だけが静かに部屋の中に響いていた。「俺は解散するしかないと思ってる……」黒柳がぽつりと言った。
今日は、COLORとしての仕事ではなく、それぞれの現場で仕事をする日だ。 その車の中で池村マネージャーが俺に話しかけてきた。「実は映画監督をしてみないかって依頼があるのですが、どうですか? 興味はありますか?」今までに引き受けたことのない新しい仕事だった。「え? 俺にそんなオファーが来てるの?」驚いて 思わず 変な声が出てしまう。演技は数年前から少しずつ始めてい、てミュージカルに参加させてもらったことをきっかけに演技の仕事も楽しいと思うようになっていたのだ。まさか 映画監督のオファーをもらえるとは想像もしていなかった。「はい。プロモーションビデオの表情がすごくよかったと高く評価してくれたようですよ。ミュージカルも見てこの人には才能があると思ったと言ってくれました。ぜひ、お願いしたいとのことなんです。監督もしながら俳優もやるっていう感じで、かなり大変だと思うんですが……。内容は学園もので青春ミステリーみたいな感じなんですって。新人俳優のオーディションもやるそうで、そこにも審査員として参加してほしいと言われていますよ」タブレットで資料を見せられた。企画書に目を通すと難しそうだけど新たなのチャレンジをしてみたりと心が動かされたのだ。「やってみたい」「では早速仕事を受けておきます」池村マネージャーは早速メールで返事を書いているようだ。新しいことにチャレンジできるということはとてもありがたい。芸能関係の仕事をしていて次から次とやることを与えてもらえるのは当たり前じゃない。心から感謝したいと思った。
大樹side愛する人との平凡な毎日は、あまりにも最高すぎて、夢ではないかと思ってしまう。先日は、美羽との結婚パーティーをやっと開くことができた。美羽のウエディングドレス姿を見た時、本物の天使かと思った。美しくて柔らかい雰囲気で世界一美しい自分の妻だった。同時にこれからも彼女のことを命をかけて守っていかなければならないと感じている。紆余曲折あった俺たちだが、こうして幸せな日々を過ごせるのは心から感謝しなければならない。当たり前じゃないのだから。お腹にいる子供も順調に育っている。六月には生まれてくる予定だ。昨晩は性別もわかり、いよいよ父親になるのだなと覚悟が決まってきた気がする。女の子だった。はなの妹がこの世の中に誕生してくるのだ。子供の誕生は嬉しいが、どうしても生まれてくることができなかったはなへは、申し訳ない気持ちになる。母子共に健康で無事に生まれてくるように『はな』に手を合わせて祈った。手を合わせて振り返ると隣で一緒に手を合わせていた美羽と目が合う。「今日も忙しいの?」「うん。ちょっと遅くなってしまうかもしれないから無理しないで眠っていていいから」美羽は少し寂しそうな表情を浮かべた。「大くんに会いたいから起きていたいけど、お腹の子供に無理をかけたくないから、もしかしたら寝ているかもしれない」「あぁ。大事にして」俺は美羽のお腹を優しく撫でた。「じゃあ行ってくるから」「行ってらっしゃい」玄関先で甘いキスをした。結婚して妊娠しているというのにキスをするたびに彼女はいまだに恥ずかしそうな表情を浮かべるのだ。いつまでピュアなままなのだろうか。そんな美羽を愛おしく思って仕事に行きたくなくなってしまうが、彼女と子供のためにも一生懸命働いてこよう。「今度こそ行ってくるね」「気をつけて」外に出てマンションに行くと、迎えの車が来ていた。
少し眠くなってきたところで、玄関のドアが開く音が聞こえた。立ち上がって迎えに行こうとすればお腹が大きくなってきているので動きがゆっくりだ。ドアが開くと彼は近づいてきて私のことを抱きしめる。「先に寝ていてもよかったんだよ」「ううん。大くんに会いたかったの」素直に気持ちを伝えると頭を撫でてくれた。私のことを優しく抱きしめてくれる。そして、お供えコーナーで手を合わせてから、私は台所に行った。「給食食べる?」「あまり食欲ないから作ってくれたのなら朝に食べようかな」やはり夜遅くなると体重に気をつけているようであんまり食べない。この時間にケーキを出すのはどうかと思ったけれど、早く伝えたくて出すことにした。「ケーキ作ったの?」「うん……。赤ちゃんの性別がわかったから……」こんな夜中にやることじゃないかもしれないけど、これから生まれてくる子供のための思い出を作りたくて思わず作ってしまったのだ。迷惑だと思われてないか心配だったけど、大くんの顔を見るとにっこりと笑ってくれている。「そっか。ありがとう」嫌な表情を全くしないので安心した。ケーキをテーブルに置くと私は説明を始める。ケーキの上にパイナップルとイチゴを盛り付けてあった。「この中にフルーツが入ってるの。ケーキを切って中がパイナップルだったら男の子。イチゴだったら女の子。切ってみて」ナイフを手渡す。「わかった。ドキドキするね」そう言って彼はおそるおそる入刀する。「イチゴだ!」お腹の中にいる赤ちゃんの性別は女の子だったのだ。「楽しみだね。きっと可愛い子供が生まれてくるんだろうな」真夜中だというのに今日は特別だと言ってケーキを食べて、子供の話をしていた。その後、ソファーに並んで座った。大きくなってきたお腹を撫でてくれる。「元気に生まれてくるんだぞ」優しい顔でお腹に話しかけていた。その横顔を見るだけで私は幸せな気持ちになる。はなを妊娠した時、こんな幸福な時間がやってくるとは思わなかったのだ。「名前……どうしようかなって考えてるの」「そうだな」「はなにしようかなと思ったけれど……『はな』は『はな』なんだよ。お腹の中の赤ちゃんははなの代わりじゃない」大くんは納得したように頷いていた。「それはそうだよな」「画数とかも気になるしいい名前がないか考えてみるね」「ありがとう。俺
美羽side結婚パーティーを無事に終えることができ、私は心から安心していた。私と大くんが夫婦になったということをたくさんの人が祝ってくれたことが、嬉しくて ありがたくてたまらなかった 。しかし私が大くんと結婚したことで、傷ついてしまったファンがいるのも事実だ。アイドルとしては、芸能生活を続けていくのはかなり厳しいだろう。覚悟はしていたのに本当に私がそばにいていいのかと悩んでしまう時もある。そんな時は大きくなってきたお腹を撫でて、私と大くんが選んだ道は間違っていないと思うようにしていた。自分で自分を肯定しなければ気持ちがおかしくなってしまいそうになる。あまり落ち込まないようにしよう。大くんは、仕事が立て込んでいて帰ってくるのが遅いみたい。食事は、軽めのものを用意しておいた。入浴も終えてソファーで休んでいたが時計は二十三時。いつも帰りが遅いので平気。私と大くんは再会するまでの間、会えていない期間があった。これに比べると今は必ず帰ってくるので、幸せな状況だと感で胸がいっぱいだ。今日は産婦人科に行ってきて赤ちゃんの性別がはっきりわかったので、伝えようと思っている。手作りのケーキを作ってフルーツの中身で伝えるというささやかなイベントをしようと思った。でも仕事で疲れているところにそんなことをしたら迷惑かな。でも大事なことなので特別な時間にしたい。
「そんな簡単な問題じゃないと思う。もっと冷静になって考えなさい」強い口調で言われたので思わず大澤社長を睨んでしまう。すると大澤社長は呆れたように大きなため息をついた。「あなたの気の強さはわかるけど、落ち着いて考えないといけないのよ。大人なんだからね」「ああ、わかってる」「芸能人だから考えがずれているって思われたら、困るでしょう」本当に困った子というような感じでアルコールを流し込んでいる。社長にとっては俺たちはずっと子供のような存在なのかもしれない。大事に思ってくれているからこそ厳しい言葉をかけてくれているのだろう。「……メンバーで話し合いをしたいと思う。その上でどうするか決めていきたい」大澤社長は俺の真剣な言葉を聞いてじっと瞳を見つめてくる。「わかったわ。メンバーで話し合いをするまでに自分がこれからどうしていきたいか、自分に何ができるのかを考えてきなさい」「……ありがとうございます」俺はペコッと頭を下げた。「解散するにしても、ファンの皆さんが納得する形にしなければいけないのよ。ファンのおかげであなたたちはご飯を食べてこられたのだから。感謝を忘れてはいけないの」大澤社長の言葉が身にしみていた。彼女の言う通りだ。ファンがいたからこそ俺たちは成長しこうして食べていくことができた。音楽を聞いてくれている人たちに元気を届けたいと思いながら過ごしていたけれど、逆に俺たちが勇気や希望をもらえたりしてありがたい存在だった。そのファンたちを怒らせてしまう結果になるかもしれない。それでも俺は自分の人生を愛する人と過ごしていきたいと考えた。俺達COLORは、変わる時なのかもしれない……。
赤坂side「話って何?」俺は、結婚の許可を取るために、大澤社長と二人で完全個室制の居酒屋に来ていた。大澤社長が不思議そうな表情をして俺のことを見ている。COLORは一定のファンは獲得しているが、大樹が結婚したことで離れてしまった人々もいる。人気商売だから仕方がないことではあるが、俺は一人の人間としてあいつに幸せになってもらいたいと思った。それは俺も黒柳も同じこと。愛する人ができたら結婚したいと思うのは普通のことなのだ。しかし立て続けに言われてしまえば社長は頭を抱えてしまうかもしれない。でもいつまでも逃げてるわけにはいかないので俺は勇気を出して口を開いた。「……結婚したいと思っているんだ」「え?」「もう……今すぐにでも結婚したい」唐突に言うと大澤社長は困ったような表情をした。ビールを一口呑んで気持ちを落ち着かせているようにも見える。「大樹が結婚したばかりなのよ。全員が結婚してしまったらアイドルなんて続けていけないと思う」「わかってる」だからといっていつまでも久実を待たせておくわけにはいかないのだ。俺たちの仕事は応援してくれるファンがいて成り立つものであるけれど、何を差し置いても一人の女性を愛していきたいと思ってしまった。「解散したとするじゃない? そうしたらあなたたちはどうやって食べていくの? 好きな女性を守るためには仕事をしていかなきゃいけないのよ」「……」社長の言う通りだ。かなりの貯金はあるが、仕事は続けていかなければならない。俺に仕事がなければ久実の両親も心配するだろう。